情報公開法と戦後日本外交史研究



白鳥 潤一郎



情報公開法施行と外交史研究の進展
  

 かつて第二次世界大戦後の日本外交を研究しようとする際に直面する課題は、何よりもまず史料の少なさであった。もちろん史料公開が行われてこなかったわけではない。1976年5月に戦後期を対象とした外交記録公開制度が始まり、1985年3月の第8回公開からはサンフランシスコ講和条約発効後の文書も対象となった。しかし、公開される講和後の文書は必ずしも研究者やマスコミの注目を集めるようなテーマに関するものではなく、1980年代から90年代にかけての研究が主として日本に先行して公開されていたアメリカやイギリスの文書に依拠して進められたことは周知の通りである。     
  転機となったのは2001年4月の情報公開法施行であった。情報公開法を利用することで研究者は自らの手で政府文書にアクセスすることが可能になったのである。他省庁と比べれば圧倒的に進んでいたとはいえ、従来の外交記録公開制度はあくまで外務省が選択的に文書を公開する仕組みであった。情報公開法の施行はこのような状況を根本的に変えた。慎重な公開審査を経る必要はあるものの、省庁が保有する全文書にアクセスすることが理論上は可能になったのである。こうして、2000年代前半以降、諸外国の文書と外交記録公開文書に加えて情報公開請求で取得した文書も用いることが研究のスタンダードとなった(注1)。   
      


情報公開法は十分に活用されたか
  外交記録公開では周辺的な文書しか公開されていなかった1970年代についても本格的な研究書が刊行されるなど(注2)、情報公開法の施行によって戦後日本外交史研究は飛躍的に進展した。とはいえ、新たな研究の多くは外交記録公開でも文書公開が始まっていた対アジア外交が中心であり、情報公開法がどれだけ十分に活用されたかと言えば疑問符を付けざるを得ない。
  研究者やマスメディアの多くが注目したのは日米関係であり、さらに言えば「密約」に関連する日米安保関係であった。しかし「密約」関連は、「不存在」や情報公開法第五条三項(「公にすることにより、国の安全が害されるおそれ、他国若しくは国際機関との信頼関係が損なわれるおそれ又は他国若しくは国際機関との交渉上不利益を被るおそれがあると行政機関の長が認めることにつき相当の理由がある情報」)を根拠に非開示とされるか大部分が黒塗りでの部分開示とされた。また、日米関係を中心に本来は1ヵ月の審査期間が延長され、実際には数年単位に及ぶことも少なくなかった。さらに、「入り口」としての公文書管理法に先立って情報公開法が制定されたため、情報公開法施行を前に多数の文書が廃棄されたという問題も指摘されている(注3)。結果として、日米関係に関する研究は依然としてアメリカの文書を中心に進められる状況が続くことになった。
  このように、利用者のニーズに合わない運用状況が、情報公開法が十分に活用されなかった一因である。以上のような状況は時間の経過と共に徐々に改善していった面もある。情報公開請求で開示された文書の一部は「歴史資料としての価値が認められる開示文書(写し)」として外交史料館でも閲覧に供されるようになるなど(注4)、利用者の便宜も図られるようになった。また、利用者としての個人的な経験や筆者の周辺の研究者の感覚としては、後述する外交記録公開制度の刷新と軌を一にするように、2000年代後半から審査期間が数年単位に及ぶことは徐々に少なくなっていった印象がある。実際、総務省が公表している情報公開制度施行状況調査を見ればそれは明らかである。
        

開示決定件数 特例延長 60日以内 60日〜3か月 3か月〜半年 半年〜1年 1年超 開示決定中特例延長の割合(C/B) 開示決定中1年超延長の割合(H/B) 開示決定中特例延長の割合(C/B) 開示決定中1年超延長の割合(H/B)
H13 2000 357 98 49 96 114 0.1785 17.85%
H14 1065 551 74 63 159 192 63 0.517370892 0.05915493 51.74% 5.92%
H15 1004 360 4 13 39 175 129 0.358565737 0.128486056 35.86% 12.85%
H16 1296 786 238 95 95 77 281 0.606481481 0.216820988 60.65% 21.68%
H17 1002 585 102 60 116 116 191 0.583832335 0.190618762 58.38% 19.06%
H18 1168 665 102 84 161 209 109 0.569349315 0.093321918 56.93% 9.33%
H19 1419 965 212 99 56 191 407 0.680056378 0.286821705 68.01% 28.68%
H20 1764 1137 186 111 80 149 611 0.644557823 0.346371882 64.46% 34.64%
H21 1001 380 52 88 62 128 50 0.37962038 0.04995005 37.96% 5.00%
H22 725 152 62 46 34 10 0 0.209655172 0 20.97% 0.00%
H23 928 540 301 54 132 53 0 0.581896552 0 58.19% 0.00%
H24 1029 576 306 35 157 76 2 0.559766764 0.001943635 55.98% 0.19%
  

  
  行政側だけでなく利用者側にも問題は存在した。運用状況が不透明でノウハウも蓄積されていない2000年代半ばまで、研究で用いられる情報公開請求で取得した文書の多くは、文書の特定が容易な各種会談録や、大使会議や公館長会議、主要国との政策企画協議の議事録が中心であった。これらの文書は様々な理由から取り扱いが難しい。会談録は相手によって発言のニュアンスが変わり得る。また、大使会議などの会議録は個人資格の自由発言を旨とするものであり、そこでの発言をもって日本外交を語ることはできないし、そうであるがゆえに比較的早くから公開が進んだと言える。これらの文書からは、政府内の多様な見方や特定の政策課題に関する「空気」の変遷は読み取れるが、研究に用いる際には慎重な史料批判が求められるものである。新たな史料群へのアクセスが可能になることによって、従来利用されてきた史料が改めて意味を持つことも少なくない。
  史料批判に耐え得る利用という情報公開法の利用に関して重要な意味を持つのは、行政文書ファイル管理簿である。行政文書ファイル管理簿は各省庁が保有するファイルを網羅したもので、ファイル名や部局、作成等を細かく指定して検索することができる。行政文書ファイル管理簿を活用することで請求者は資料群の全体像を把握できる。期待する文書の開示決定がなされるかは審査次第とはいえ、資料群全体を対象に情報公開請求をかけることで、研究により資する形で情報公開法を利用することが可能になる。
        

外交記録公開制度の刷新と情報公開法
  2000年代後半に入り、停滞気味だった外交記録公開制度は刷新されることになった。その詳細は本ウェブサイト掲載のコラム(高橋和宏「外交記録公開の現状と課題」)をご覧いただくとして、ここでは情報公開法の利用と関係する範囲の変化を簡単に触れておきたい。
  外交記録公開制度の刷新は2008年度から順次進められ、2011年4月の公文書管理法施行によって概ね完了した。形骸化しつつあった「30年ルール」も徹底されることになり、既に外交史料館には1980年代前半の文書も多数移管されている。日米安保関係など依然として移管が遅れている領域もないわけではないが、移管ファイルの目録を見れば、さながら洪水のように様々な文書が続々と移管されていることが分かるだろう。参考までに数字を挙げれば、従来の外交記録公開制度の下で移管・公開されたファイルが約12,000冊に対して、制度刷新後、2014年7月までに約29,000冊が移管されている。また、民主党政権の下で安保改訂や沖縄返還交渉などいわゆる密約問題に関する文書が公開されるなど、外交文書をめぐる状況も大きく変わった。この過程で戦後日本外交に関するタブーの多くが取り払われた意味は大きい。領土問題などを除けば作成から30年が経過した外交文書は「原則公開」されることになったのである。
  こうして戦後日本外交に関する史料状況は一変することになり、それは情報公開法の位置づけにも影響を与えた。外交記録公開が停滞していたこともあり、50年以上前を対象とする研究であっても情報公開法の利用は2000年代後半には半ば当然になりつつあったが、作成30年後までの文書の移管が一挙に進んだことで、文書公開の遅れを補うための情報公開請求はその役割をほぼ終えつつあると言っていいだろう。
  とはいえ、それは情報公開法に関する一面でしかない。まず、作成後30年に満たない重要な案件について情報公開法によって文書を引き出していく意味は依然として失われていない。また、外務省は他省庁と比べて保存年限終了後の移管率が高いとはいえ(注5)、研究者が関心を持つ全ての文書が移管されるわけではない点にも注意する必要がある。実際、行政文書ファイル管理簿で近年作成されたファイルを見ていくと、ファイル名から重要な案件に関わると推測されるものでも保存期間が短く、移管も定められていないことは少なくない。外交記録公開推進委員会は重要なファイルが廃棄されることがないように監視する役割も持つが、膨大なファイルの全てを吟味するだけの人員を抱えているわけではない。重要な政策案件について保存期間が短いものについては、廃棄される以前に行政文書ファイル管理簿をチェックして情報公開請求をかけていく必要があるだろう。


  

今後の展望と課題
  施行から10年以上が経過し、情報公開法は日本社会に定着したと言える。研究者はもちろんのこと、調査報道の現場でも情報公開法を利用することは当たり前の手法となっている。しかし、運用の実態には様々な問題が存在する。公文書管理法施行に併せて各省のガイドラインが横並びになった結果として、それまではほぼ全面的に開示されていた外国政府高官の名前が局長級以上しか公開されなくなったことなどはその一例である。その結果として一般にも知られているようなアメリカ国務省の日本部長の名前も黒塗りにして公開されることになってしまった。膨大な量の文書のなかから人名をピックアップして黒塗りにする事務作業の負担の大きさは想像に難くない。また、恒常的な人員不足のなかで情報公開請求が若手の外務官僚にとって多大な負担になっているのも事実である。外交記録公開の刷新によって移管審査と公開審査が切り離された結果、こうした状況はさらに厳しくなっていると仄聞する。
  2014年6月に情報公開法は改正されたが、これは他の法律の制定に併せた形式的な修正である。民主党政権下では情報公開法の本格的な改正が模索されたが、東日本大震災の影響とその後の政局の流動化によって流れてしまった(注6)。失われた政治的なモメンタムを取り戻すのは容易ではないが、特定秘密保護法をめぐって議論が戦わされたように、情報公開や公文書管理については国民の間でも一定の関心が寄せられるようになっていることは間違いない。外交史研究者も、いまある制度を活用するだけでなく、より良い制度のあり方についていま少しばかり考えを巡らせてもいいのではないだろうか。

  (注1) 代表的成果として、波多野澄雄・編著『池田・佐藤政権期の日本外交』ミネルヴァ書房、2004年。
  (注2) 若月秀和『「全方位外交」の時代――冷戦変容期の日本とアジア1971‐80年』日本経済評論社、2006年。
  (注3) 波多野澄雄「外交文書の管理と公開について」「いわゆる「密約」問題に関する有識者委員会報告書」(2010年3月9日公表)95―98頁
  (注4) 「歴史資料としての価値が認められる開示文書(写し)」の件名目録は外交史料館のウェブサイトで公開されている。ただし同目録2006年8月以降は更新されていない。
  (注5) 2011年度のデータでは保存期間が満了したファイルの内、19.1パーセントが移管されており、これは内閣法制局の71.8パーセントに続く数字である(これに対して財務省は1.0パーセント、経済産業省は2.7パーセント)。内閣府大臣官房公文書管理課「平成23年度における公文書等の管理等の状況について」2013年2月、10頁。同文書は公文書管理委員会のウェブサイトで閲覧することができる。
  (注6) 民主党政権下で国会に提出された情報公開法改正案については、瀬畑源長野県短期大学助教のブログ記事(「【連載】情報公開法改正案解説」)が詳細に解説している。


2014年9月5日執筆